北海道に住みたいと言っているだけのブログ

5 か月間の育休を経て

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7 月から仕事が復活した。果たして仕事復帰なんてできるのかと思っていたが、2~3 日目くらいで早くもだいぶ勘は戻った感じがする。ただ、集中力とか眠さとか、どうにもならない部分があって辛いところもあるし、いきなり燃えそうな案件に携わっているので疲労感が半端ない。

 

長いようで短かった育休期間について、さくっと振り返ってみる。

 

過ぎ去る時間は湯水の如く

代り映えのない毎日が鬼のように過ぎていく。テレビ番組をみるたびに、あれからもう一週間経ったのかと絶望する。

子供の成長はあっという間と言うが、そう毎日変化があるわけではない。さらに、慣れてくると子のお世話がだんだんと合理的になってくる。毎日同じことの繰り返しになってくる。

刺激を求めてどこかに遊びに行こうと思っても、乳児を連れて出かけられるところは限られてくる。(といいつつ、育休後半は旅行したり銀座に行ったりといろいろ連れまわしたが)

そんな具合で、育休初期~中期は時間の速さに慌てていたものだが、後期になるとだんだん悟りが開けてきて、むしろこの過ぎ去る時間のスピード感を楽しめるようになった。

眠さと自己実現のせめぎあい

夫婦で育休をとっていたので、正直それなりに自由時間ができるのでは? という思いがあった。育児に趣味に、充実した生活が送れるんじゃないかという期待があった。読書、楽器、写真撮影、コーディング、勉強... 夢は広がる。

だが、当然ながら世の中はそんなに甘くない。振り返ると常に睡眠不足だった。寝る時間がとにかく欲しかった。なので、やりたいことよりも寝ることを優先することが多かった。

次第に、やりたいことができないフラストレーションが溜まっていった。特に、業務復帰後のことを考えるとある程度勉強もしておきたい。けど、眠くてなかなか腰を据えてできない。焦りが募る。かといって、睡眠を犠牲にすると翌日は一日中ポンコツである。後述するがメンタルにも悪影響である。もどかしい。

このへんの辛さが割と育休が終わる一か月前くらいまでずっとあった。最終的にはやはり悟りが開けてきて、割とスパッと諦められるようになった。

散歩という最強アクティビティ

まだお座りもできない乳児なので、「遊び」に関しては大きな制限がある。おもちゃであやしたり絵本読んだりといくつかレパートリーはあるが、子が起きているあいだずっと家の中で遊ぶのはなかなか難しい。なので、「寝るまでの〇時間、なにして過ごそう…」と途方に暮れることもあった。

そんなこともあり、散歩にはたいへんお世話になった。歩いているだけで時間が過ぎていく。子にとってみても楽しいらしく、ベビーカーに乗せようとすると嬉しそうに笑う。また、なんといっても子が輸送反応で寝てくれるのがありがたい。

それだけに雨が降った時の絶望感は半端ない。

人間力

夫が定年になっていろいろ揉める、みたいな話をよく聞くけれど、ちょっとわかった気がする。よくよく考えると、同じ空間で、同じ目的 (→ 子を育てる) をもって、24 時間パートナーと毎日過ごすというのは経験としてなかった。

育児で身も心も疲れ果てている中で、いかにお互いを思いやれるかが問われる。人間力が試されると感じた。

小言婆さん

「外連れ回されてかわいそう」「男がベビーカー押すなんて!私の頃は (略」といった小言を、街ゆく年配の方々から浴びせられることになるのだろうな、と覚悟をしていたのだが、そんなことはなかった。

小言ではないけど、「誘拐してないかい?」と言われたことはあった。まあなんかおしゃべり好きというか冗談好きな愉快な婆さんだったから悪意はないだろう。いや改めて考えると誘拐って失礼だな。

とにかくみなさん笑顔で可愛がってくださって有難い限りだった。

育休をとってよかったか?

期間はいったん置いておいて、父親もとるべきだと感じた。特に低月齢のころは何しても泣き止まない魔の期間があって、交代などしながらなんとか乗り切っていきたいところ。 (※ 個人差あり)

一方、「期間はいったん置いておいて」と前置きしたのは、では長ければ長いほどいいのかと言われると必ずしもそうではないと思っているから。上記「人間力」の通りで、家族によっては揉めまくる可能性がある。夫婦どちらかで思いやりが著しく欠如していると、ストレスメーカーになりかねず、仕事行って稼ぐ方が幸せな家庭もありうる。

なので、個人的には「魔の期間」はできるだけ取れるようにしたいが、それ以降はケースバイケース、という考えでいる。

そもそも男性の育休が普通に取れるように社会が変わらないといけないのだが。