北海道に住みたいと言っているだけのブログ

入院所感

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カビ茶と戦いつつも、医療従事者の方々による献身的な治療の甲斐あって一週間ほどで退院できた。

 

母が丈夫に生んでくれたため、これまで病院のお世話になることはあまりなかった。少なくとも 30 代で入院することはないだろうと高をくくっていたが、人生なにがあるかわからない。というか、入院したという事実を未だにすべて受け入れられていないのが現状だ。

改めて、そんな短く儚い入院生活を振り返ってみる。

 

入院前半は記憶があまりない。39 度くらいの熱と、割れるような頭痛で起きていることすらしんどかったので、カロナール (解熱薬) もらいつつ副作用の眠気でひたすら眠っていた。

最初は点滴も嫌だった。24h 針を腕にぶっ刺されている違和感と、腕の角度が悪いとチクっと痛むので、寝返りを気にしておちおち眠れなかった。あと、トイレに行ったときに腕を高く上げてしまったのか血が逆流してトラウマになった。でも一番点滴で嫌だったのが、薬剤の終わりぎわに注入される生食ロック。ひんやりした薬液が腕の中をすーっと入ってくるあの感覚が最悪極まりない。看護師に「この感覚が嫌だ」と言ったら「私は好きだけどね」という返答が来て、そんな人いるのかと驚いた。

病院食はよく言われるように食塩を持参したくなるような味の薄さ。味が薄すぎてご飯のおかずにならない。加えて看護師に「若いから大盛ね」と毎食大盛りにされてしまい、おかず問題が加速した。熱でしんどいときは食欲もあまりなかったので大盛解除を嘆願しても「残していいから大盛のままで」と謎に大盛信仰が強く、苦戦した。入院以前、自宅で食事していたときよりもご飯の量が多かった。看護師に言われるように残せばよいものの、貧乏性ゆえの抵抗があり、なんだかんだ食べきることが多かった。入院生活のおかげで胃が拡張された。

治療はというと抗生剤をとっかえひっかえして、効くまでガチャするスタイル。肺炎や気管支炎を引き起こす原因菌はたくさんいるため、どの薬が効くかすぐにはわからないとのこと。なんとなく、採血すればすぐにわかるものだと思っていたので、こんなに当てずっぽうなやり方なのかと驚いた覚えがある。効く薬に当たるまでは体調は良くならないので、早く SSR 引いてくれと願っていた。

そんなこんなで入院して 3~4 日くらい経って、ようやく熱が下がってきた。ガチャを引き当てたらしい。ちなみにそのときの抗生剤はレボフロキサシン。有難かった。このあたりから記憶が鮮明になってくる。

元気になってくるとそれはそれで、時間をつぶすのが大変だった。前の記事で書いたように Wi-Fi など当然のように飛んでいないし、テレビも有料、売店や屋上のような暇つぶしスペースもなし。家族に本を持ってきてもらったりもしたが、すぐに読み切ってしまった。となると、ベッドで無になるのが常だった。食事は決まった時間に来るので、食う・寝る・排泄以外のことはしない日々が入院生活の後半を彩っていた。

とはいえそんな日々もつかの間、平熱も維持できてきたので採血・CT など再検査をして、肺炎がほぼほぼ治ったのでめでたく退院できた。

 

これでめでたし…とは行かず。

実は採血の結果に異常があって、AST/ALT (肝臓まわり) が 3 ケタになっているとのことで、さらなる入院を医者に勧められていた。とはいえ安静にしていれば家にいてもよいとのことだったので、これ以上無を極めたくないことを考えると、退院を選択した次第だった。

大学病院へエスカレーションしてもらい、そこで精密検査をしているのが今のステータス。

肝臓がやられている原因はまだわかっていないのだが、おそらく抗生剤ガチャしていたときの副作用ではないかと考えている。確かに副作用欄に肝機能障害の記載があるものも投与していた。ただ気になるのは、投与をやめて数日経てば数字は平常値になるのだが、そうならなかった (高い数値のまま) こと。あるいは、大盛信仰による影響か? いや、さすがに病院の監修のもとの大盛なのでそれはないだろう。

そうするとほかの要因も考えられるのだが、恐ろしい病気ばかり挙げられるので深堀りはしないでおく。とはいえ大学病院の先生曰くそこまで深刻な印象はなかったので、とりあえずは精密検査の結果 (来週) を待とうと思う。