北海道に住みたいと言っているだけのブログ

さよならノスタルジア

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これまで、ノスタルジアを求めて生きていたきらいがある。例えば「昔住んでいた街に行く」とか「1990 年代のファッションの画像を見る」とか、そういうことばっかりやっている。自身のノスタルジーが思い起こされたとき、めちゃくちゃ心地よいのである。多分、人一倍そのへんの感受性が高いのだと思う。昔話も大好きである。過去が美化されやすいのかもしれない。

恐ろしいのは、北海道への執着もまたそうかもしれないということだ。北海道への愛は常日頃から記事にしまくっているが、結局のところは学生時代住んでいて楽しかった思い出が懐かしくて好き、というだけなのかもしれない。ただ、良くも悪くも「好き」が原動力となって北海道の歴史、文化、風俗といったことへの興味が一向に尽きる気配がない。学べば学ぶほど興味が止まらなくなるのだから、生半可な気持ちではないのだと信じたいところである。住んでみせる。

それにしてもノスタルジアに浸って気持ちよくなるのはいいが、毎回なんとも満たされない心持ちになる。ポジティブな感じが全くあとに残らないというか、ただただ気持ちよさが消費されてしまっただけというかそんな感覚があって、ノスタルジアへの渇望が止まらなくなる。すなわち過去だけでなく未来もちゃんと見ましょうねという人間古来の遺伝子からのアラートなのかもしれない。

ライフハッカーさんも似たようなことを書いている。(もはやライフハッカー自体が懐かしい)

www.lifehacker.jp

前を向いていかねば、と思った矢先に子供ができた。年末に生まれる予定である。子供がいることがわかったのは確か今年の春ころで、とても驚いたことをよく覚えているが、今となってはいい思い出である。(早速ノスタルジア)

奇跡が重なって子を授かったことは願ってもみないことだし、なにより我々夫婦の子ということで一体どのような子が生まれてくるのかが今から楽しみでならない。一方で自身に親となる器が果たしてあるのかという不安もまたあった。加えて、これは考えても意味のないことではあるが、大切な人が増えることでその人を失ってしまう恐怖もまた一人分増えるということである。交通事故が起きないかどうか今から心配でならない。とはいえ、生まれてしまえばこのような不安はどこ吹く風になるだろうし、なってほしいものではあるが、心配性にとってはこんな悩みがあったりするのである。また、大きくなったお腹をなでると自然と不安はなくなる。なんらかのホルモンが出ているのか何なのかはよくわからないが、人間としての本能的なところだろう。自分の知らない自分がまだいたのか、と驚くばかりである。

そんな奥様は里帰り出産のために里へ帰っている。ウン年ぶりの一人暮らしが戻ってきている。当初はやっていけるか不安ではあったが、任期付きの一人暮らしであることもあり、慣れはじめているところである。こうしてみると、「不慣れな期間」を楽しむのが人間なのかなと思ったりする。学生時代に慣れきった一人暮らしは、楽ではあるがあまり楽しみはない。一方で、我が子が家に来た日にはそれはもう大変。まてよ、でも果たして楽しいのだろうか…? 子育てがキツすぎて楽しさなど味わう余裕がないのかもしれない。ただひとつ確信しているのは、あとから思い返してみれば子育ての頃は楽しかったなぁと必ず感じるだろうこと。まさにノスタルジアのなすところなのだと思う。