北海道に住みたいと言っているだけのブログ

葬式と親バカ

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身内に不幸があったので葬式に行ってきた。思えばこういった類の場には 20 年近く行っていなかったので、すっかり作法やら何やらを忘れてしまっていた。入念に下調べをして地元へ帰った。

お作法的なところ以外にも不安な点があった。それは亡くなったのが某オカルトな宗教に没頭していた人だったからだ。そのせいで過去いろいろ大変なこともあったけど、死人に口無しである。

それでも幼いころはお世話にもなったので、亡くなられたのは残念であった。葬式はもしかして自分以外の出席者はみな信者じゃないか? という具合でハイパーアウェーな場であったが、故人を偲びたい気持ちのほうが上回っていたので、なんとか耐えることができた。

そして個人の信教がどうであれ、葬式の場がどれだけオカルティであっても、残された遺族の姿をみると何ともいたたまれない気持ちであった。まさに哀悼である。出棺直前の遺族に漂う、あの非言語な情報量の極めて多い空気感は、筆舌に尽くし難い。

なにはともあれ駆けつけて手を合わせることができてよかった。

 

式が終わり、家に帰ってきて感じたのは、俄然赤さんをかわいいと思えるようになったことだった。葬式・告別式と泊りがけで出席し、赤さんが生まれてから初めて長い時間離れ離れになったからかもしれない。

これまでは、赤さんに対して「かわいい」と「イライラ」が半々といった印象を持っていた。それだけお世話に疲弊していたといえる。とはいえ、後ろめたさを持っていたのも事実だ。親なのにそれほどかわいいと思えないのはどうなのかと。対して、母親サイドは溺愛しているのもまた一層自分の焦りを加速させた。

「すべての父親がすぐに父親マインドになれるわけでもないだろうから、まあそんなもんなのかな」とか「かわいいと思えないのがなぜ悪いことなのか」などと都合よくいろいろ自問自答していたが、ここにきて一気にかわいいと思えるようになったのが不思議だ。葬式の場で親戚の子供たちに会ってきたからかもしれない。要は親バカが少し開花してきた可能性がある。恥を隠さず言えば、「うちの子の方がかわいいなぁ」である。そりゃ、一緒に生活してる子の方がかわいいと思えるのは当然っちゃ当然である。しょうもないが、案外世の中もこんなもんなのかもしれない。