北海道に住みたいと言っているだけのブログ

となりの三浦さん

最近、三浦綾子さんの小説を読み漁っている。いつぞや、札幌の紀伊國屋三浦綾子特集のコーナーが催されていて、ふと手に取ったのが最初だった気がする。「氷点」「ひつじが丘」「塩狩峠」「天北原野」などの有名どころを読んだ。

この人の作品を読んでいると、人間という存在がいかにしょうもないかがよくわかる。周りの人たちもしょうもないし、もちろん自分もしょうもない。作者的には「人間の罪」ってことなのだと思うけれど。特に「氷点」なんかはたくさん登場人物が出てくるが、一人ひとりに必ずダークな部分を宿すように描いているようにみえる。

救いようのない辛さが最初から最後まで続くのが「天北原野」だった。寝る間も惜しんで読みふけた。個人的にはこういう善・悪のはっきりとした物語が好きである。同情の余地のある悪はあまり好まない。この天北原野、時代背景が太平洋戦争で、ロシアとのいざこざも書かれているので今読むとなにやら生々しさがある。

作者はクリスチャンなので作品によってはかなりキリスト色の強いものもある。そういう作品は、だいたい作中の誰かが聖書と出会って人生が変わる。なんだか水戸黄門のような安心感がある。それこそ「天北原野」なんかのように一見キリスト感のない作品もある。作者の作品を読むときは、「いつ聖書が出てくるかゲーム」「誰が洗礼を受けるかゲーム」を頭の中で行いながら読むと結構面白い。

また、旭川出身とのことで北海道を舞台にした作品が多い。情景描写がめちゃくちゃいい、というタイプの作者ではないのだが、時折入る北国の厳しい暮らしを描く場面はとても好きである。北海道という厳しい自然環境の中で人びとが生活する凛とした強さみたいなものを感じられ、ひたすらに美しい。

いまは「泥流地帯」を読み始めたところである。これまた辛そうな作品。

クック

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どこから来たのか小指にも満たない小さな蜘蛛が部屋に入ってきた。だいたいこういうときはせっせと外に逃がすのだが、このときはやけに面倒くさく感じたのでいっそのこと同居することにした。昔から蜘蛛のあの見てくれがかなり苦手ではあったのだが、それ以上になんだか一歩も動きたくなかった。そんな夜は誰しもあるだろう。ということで、少しでもフレンドリーに感じられるようにクックと名付けた。

とはいえ放置することでクックに巣を作られるのもなんか嫌だ。しかし調べてみるとクックはハエトリグモといって、巣を作らないスタイルの蜘蛛だった。無知だったこともあり、巣を作らない蜘蛛がいることすら知らなかったので、驚いた。自分の足で動いて家中の獲物 (害虫) を食いまくってくれる神のような蜘蛛であった。実際、唯一神が食事されているお姿も拝見した。

調べてみると昼行性らしい。光に反応するのか、朝起きてカーテンを開けるとどこからともなくひょっこり出てきたりするので、「おはよう」と言ってしまったりするくらい、いつの間にかクックには心を開いていた。

そんなこんなで一週間ほどしたころ、姿が見えなくなった。「家に餌がなくなるとひっそりと出ていく」という記事をどこかで見て、そりゃ生きるために当然だよなと思いつつもどこか寂しい気がしなくもない。とはいえやっぱり蜘蛛は苦手なので、戻ってきてほしいわけでもない。なんなんだ、この気持ち。

 

ハエトリグモの世界が思ったよりも深く、ハンドブックが刊行されていた。作者さんはハエトリグモが好きすぎてフリーターになったらしい。マツコの知らない世界にでてきそうだ。

ハエトリグモハンドブック 増補改訂版

【前編】ただの図鑑とは言わせない!! フリーターになってまで作った『ハエトリグモハンドブック』のハンパないこだわり|記事カテゴリ|BuNa - Bun-ichi Nature Web Magazine |文一総合出版

 

昔から馴染み深いクモだったため、江戸の時代から愛されていたらしい。それにしても羽を切って動きを制限させるなどなかなかハードコアな遊びをやっていたものだ。自分も子供のころは「トンボの羽をちぎる」「カマキリに消しゴムを食わせて死なせる」など無自覚に非情なことをやってきていたが、いい大人でもやっちゃうのが江戸スタイル。

座敷鷹
また江戸時代の一時期(寛文から享保頃)には、ハエトリグモを「座敷鷹」と呼んで、蝿を捕らせる遊びが流行した。これは大人の遊びで、翅をやや切って動きを制限したハエを獲物とし、複数のハエトリグモにそれを狩り競わせるというものだった。
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強いクモは非常に高価で、当時の江戸町人の平均的な月収に相当したという。

ハエトリグモ - Wikipedia (← クモの写真いっぱいあるよ)

クモをひと月分の給料で買う時代があったとは。

さよならノスタルジア

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これまで、ノスタルジアを求めて生きていたきらいがある。例えば「昔住んでいた街に行く」とか「1990 年代のファッションの画像を見る」とか、そういうことばっかりやっている。自身のノスタルジーが思い起こされたとき、めちゃくちゃ心地よいのである。多分、人一倍そのへんの感受性が高いのだと思う。昔話も大好きである。過去が美化されやすいのかもしれない。

恐ろしいのは、北海道への執着もまたそうかもしれないということだ。北海道への愛は常日頃から記事にしまくっているが、結局のところは学生時代住んでいて楽しかった思い出が懐かしくて好き、というだけなのかもしれない。ただ、良くも悪くも「好き」が原動力となって北海道の歴史、文化、風俗といったことへの興味が一向に尽きる気配がない。学べば学ぶほど興味が止まらなくなるのだから、生半可な気持ちではないのだと信じたいところである。住んでみせる。

それにしてもノスタルジアに浸って気持ちよくなるのはいいが、毎回なんとも満たされない心持ちになる。ポジティブな感じが全くあとに残らないというか、ただただ気持ちよさが消費されてしまっただけというかそんな感覚があって、ノスタルジアへの渇望が止まらなくなる。すなわち過去だけでなく未来もちゃんと見ましょうねという人間古来の遺伝子からのアラートなのかもしれない。

ライフハッカーさんも似たようなことを書いている。(もはやライフハッカー自体が懐かしい)

www.lifehacker.jp

前を向いていかねば、と思った矢先に子供ができた。年末に生まれる予定である。子供がいることがわかったのは確か今年の春ころで、とても驚いたことをよく覚えているが、今となってはいい思い出である。(早速ノスタルジア)

奇跡が重なって子を授かったことは願ってもみないことだし、なにより我々夫婦の子ということで一体どのような子が生まれてくるのかが今から楽しみでならない。一方で自身に親となる器が果たしてあるのかという不安もまたあった。加えて、これは考えても意味のないことではあるが、大切な人が増えることでその人を失ってしまう恐怖もまた一人分増えるということである。交通事故が起きないかどうか今から心配でならない。とはいえ、生まれてしまえばこのような不安はどこ吹く風になるだろうし、なってほしいものではあるが、心配性にとってはこんな悩みがあったりするのである。また、大きくなったお腹をなでると自然と不安はなくなる。なんらかのホルモンが出ているのか何なのかはよくわからないが、人間としての本能的なところだろう。自分の知らない自分がまだいたのか、と驚くばかりである。

そんな奥様は里帰り出産のために里へ帰っている。ウン年ぶりの一人暮らしが戻ってきている。当初はやっていけるか不安ではあったが、任期付きの一人暮らしであることもあり、慣れはじめているところである。こうしてみると、「不慣れな期間」を楽しむのが人間なのかなと思ったりする。学生時代に慣れきった一人暮らしは、楽ではあるがあまり楽しみはない。一方で、我が子が家に来た日にはそれはもう大変。まてよ、でも果たして楽しいのだろうか…? 子育てがキツすぎて楽しさなど味わう余裕がないのかもしれない。ただひとつ確信しているのは、あとから思い返してみれば子育ての頃は楽しかったなぁと必ず感じるだろうこと。まさにノスタルジアのなすところなのだと思う。