北海道に住みたいと言っているだけのブログ

ブログ15年目

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特になにもない。

僕がブログを書く理由は主に2つある。1つは、自分の生きている痕跡をネット上に残したいから。死んでしまうと肉体は残らないけど、書き残したものや作り上げたものは残る。ことブログに関しては、インターネットがなくなる or 運営元のはてな社が匙を投げる ことがない限りはデータは残り続ける。それが生きた証の1つになるのではなかろうか、と。究極的には総理大臣になれば永遠に教科書に残るので最高なんだけどな…。ちなみにITエンジニアという仕事でものづくりをしているのも、この思想の影響がある。

2つ目は、10年後か20年後かわからないけど遠い未来に過去の記事を見返して、「懐かしいな」とか「黒歴史だな」とか、そういった感情を引き起こさせたいため。自分だけの自分による自分のためのブログ。

それゆえ、ブログでお小遣い稼ぎをつもりは毛頭ない。表示されている広告はあくまではてな社によるもの。自分のために書いた記事なのに、読者の力を使ってお金を得るのはなんだかおかしいから。あと、下手に小銭を稼いで味をしめてしまうと、どうしてもブログの存在意義がぶれてしまいかねない (それ以前に収入を得られるほどのページビューがないから、意味のない杞憂なのだけど)。あとあれだ、お金稼ぎ目的で記事の内容が薄すぎるブログや、SEO 効果を高めるためにテンプレ化したデザインや内容のブログが乱立している昨今に対する反骨精神を示したかったのかもしれない。

一方で、「こうありたい」というブログの理想像みたいなものはある。

それはこんなシチュエーション。検索でたまたまブログがヒットして記事を読んでみたらなんだか筆者と波長が合って、最新記事を漁ってみるとやっぱり面白い。記念にブックマークしちゃったりして、思い出したときにアクセスする。いつしか筆者の人となりがわかってきて、身近な存在になってきちゃったりして、何かおめでたいことが記事に書かれていたら、一緒に喜んでしまう。…といったようなブログ。

これぞ (日記をメインとした) ブログの真骨頂、ユーザー体験だと思う。Facebook でもいいんだけど、ブログのように筆者の匿名性が担保されていることで読者に夢が広がる、というか、筆者のイメージを読者が自由に描けるのが良い。ちなみに Twitter は匿名可なのでアリといえばアリだけど、文字数制限があるのと、あくまで「今」に主軸があって過去記事へのリスペクトが薄れているきらいが感じられることから、個人的にあまり好きではない。

さて、では当ブログを「理想像」にどう近づければよいか。やはり、更新する頻度がまだまだ少ないと思っている。もっと気軽に書くことができれば。思えば、はてなダイアリー時代はもっとサクサクとその日の出来事を投稿していた気がする。一方はてなブログになってからは、(思わないようにはしていたけど) 一記事へのボリュームというか、完成度がある程度求められているのかなと勝手に思い込んでしまって、気軽さが薄れてしまったのだと感じる。もちろん完成度なんて全然求められていないし、そもそもじゃあこれまで投稿してきた記事は完成度高いんかいと言われると困ってしまうが。

ということで、ひとまず15年目は日常の些細な出来事を気軽に投稿できるようにしたいところ。写真のストックも常にたくさん用意できるように撮りまくろう。