札幌移住前、去年の 9 月ころに実はまた北海道に旅行していた。どうせ住むことになるのに。
何度も何度も北海道に足を運んできたが、未だに解像度の低い地域があった。日高地方である。
わりかし電車に乗って旅するのが好きなので、鉄道が今やほとんど通っていない日高地方はどうしてもスルーしがちだったのであった。
去年のことなので記憶を掘り起こしながら書いていく。とりあえず成田から新千歳に飛んで、クルマを借りて、南下していく。印象深かったところをただひたすら挙げていく。
静川遺跡
まだ日高ではなく、胆振のあたり。
まあ本当に何もなくて、とにかく広い。
何もなさすぎて、人っ子一人いなくて、ものすごく印象に残っている。
写真にはないけどエゾシカもたくさんいた。
広すぎて全然回れなかった。
本当に何もないんだけど、凄くお気に入りのスポット。
鵡川町
日高の玄関口?むかわ。
10 年前の高波被害で日高本線はここが終着駅になってしまった。
せめて鵡川駅を撮ろうと思ったら工事中で残念極まりなかった
あまりにも高すぎる目標
鵡川といえばシシャモ。
シシャモ屋さんでその場で焼いてもらって食べた。むtttttttっちゃ美味しかった。普段食べているカペリンとは明らかに違って、旨味が物凄い。酒が欲す。(車だったので飲めなかった)
海沿いを走る。途中、お洒落なカフェを見つけたのでふらっと入ってナポリタンを食べる。景色が最高だ。
新ひだか町
桜の時期にはものすごい路駐、否、人だかりになる二十間道路。桜の時期以外は閑散としている。
晴れてて空気が良かった。
クルマが全然来ない。
日高は全体的に緑が濃い。
静内
このあたりもアイヌの歴史上よく出てくる地名。
一方で、開拓者集団上陸地記念碑なんてものがある。集団上陸して、一体全体何が起きたのか。この静内という地を、もっともっと知りたくなった。
浦河町
傾く陽がただただ美しく、そのへんを歩いているだけで心が浄化された。
ここで宿を取ったのだけど、宿泊者の大半がインドの方々だった。競走馬育成でインドからの出稼ぎが多く来ている地とのこと。宿の中はヒンドゥー語が飛び交いまくっていた。
深刻な人手不足をインド人が補う、北海道らしい先進的なモデルケース。
様似町
日高本線のかつての終着駅。立派な駅舎が現存していたが、機能としては観光案内所のみ。
代替交通としてのバス停が実質的な駅。
もう列車でここまで来ることは決してできないんだなあと思うと。
えりも町
とりあえず岬。前回 (10 年前くらい?) は夜中に来たので一切何も見えなかったのだが、明るい時間帯に来ると驚きが凄いな。
えりも駅 (バス停) も激写。セブンがすぐ隣にあって映える (映えない)。
浦幌町
えりも町を海沿いに北上して十勝方面へ。
なんとなくふらっと立ち寄ったのだが、なんだろうか、ものすごく自身とフィーリングが合う町だなあと思った。
なんだろうか、謎に哀愁漂う樹。
トイトツキ・ヌタベツト (浦幌町)
位置でいうとこのあたりなんだけど (わからん)、まず地名からして一筋縄ではいかない感じがする。本来アイヌ語由来の地名は和人によってあらかた漢字が当てられているものなんだけど、このあたりはそれがない。札幌周辺にもちらほらあるけど、カタカナの地名はやはりそそられる。
トイトツキ浜。釣り人がちらほらいる。
ほんで、これですよ。何かわかりますか。トーチカです。
太平洋戦争でアメリカが攻めてきたときのために作られた防御陣地。側方には小さな窓があって、銃を出せるようになっていた。
被写体から発せられる重みが半端ない。しばしの間立ち尽くしてしまった。
結局トーチカは戦争では使われることはなかったが、あくまで結果論であり、当時の連合国の采配ひとつでこのトーチカは粉々になっていたかもしれないと思うと、恐怖で足がすくむ。
実はここまで来るためには一般的な乗用車では来ることができず、写真のようなクロカンじゃないと容易にスタックしてしまう。
そんな歴史の重みを感じつつ、下を見るとどこの国ものかわからないゴミが散乱していた。果たして海に流れ着いたのか、それともただ単に釣り人が捨てたのか。なんとなく後者だろうなあ。
浦幌、とにかく来てよかった。十勝の太平洋沿岸はこういうディープなスポットがまだまだたくさんありそう。
音更町
意味もなく公園に行き、高台へ行き、夕日と戯れた。この日も心が浄化された。
帯広
日本一大きいパン屋と言われている、ますやパンで解放感を味わった。
浦幌町 (2 回目)
また戻ってきてしまった。なぜだ?
浦幌神社。ライダーの安全祈願で有名らしい。ライダーじゃないけどお守りを買った。今でもクルマに付けてる。
浦幌炭鉱跡
道中は割とキレイな景色 (青い池ならぬ緑の池?) があったりするのだが。
とにかく交通量がない。
道路の舗装がされなくなってきたところで、炭鉱跡が登場する。
朽ち果て度合い。
いつ中からクマが出てくるかわからない恐怖がずっとある。
炭鉱跡にはかつての賑わいと暮らし、物語がある。時代の波に翻弄されながらも急速に発展し、そして朽ち果てていく文化と、かすかに残る炭鉱跡。幻のように見えて、しかし建物だけは今も確かに存在する。
旭浜のトーチカ (大樹町)
そしてまたトーチカを見に来てしまう。
祠がある。
ここに来るには駐車場 (っぽいところ) から結構歩かなくてはいけなくて、正直行こうかどうしようか外で迷っていたところ、旅人っぽい女性に「迷ってるなら行った方がいいよ。行く価値あるよ。」と背中を押された。ものすごく頼もしいオーラが出ていたので、頑張って歩いて行ったが、なるほど確かに圧倒的な光景であった。
先日のトイトツキ・ヌタベツトとはまた違う雰囲気で、ここは原生林も生い茂っているので、なんというか日本じゃないような異国感が強かった。でも祠があって、確かにここは日本だった。
白糠・釧路
道の駅・こいとい館。先日リニューアルされたが、これはリニューアル前の姿。
裏手にはすぐ太平洋があって、眺望は抜群。時間が許すならばずっとここにぼーっと座っていたかった。でも、時間がなかった。なぜなら、日が暮れる前に釧路に行かねばならなかったから。
この夕焼けだ。
何度も釧路には行っているが、いつもいつも雨で釧路が誇る「世界三大夕日」をなかなか拝めずにいた。この日はようやくいい感じの天気っぽかったので、恋問館に後ろ髪をひかれつつも満を持して来たのであった。
それにしてもすごい焼けっぷりだ。どこから撮っても画になるので、あたふたしていたらあっという間に日が暮れてしまった。
また来よう。
飲もう。
釧路っ子ではないのだが、適当に入った居酒屋で食べた牡蠣が猛烈にウマくて、今でも忘れられない。果たしてあのクオリティを札幌で食べられるかどうか。道東の牡蠣はやはり半端ない。
これは確か和商市場だった気がする。海鮮丼ではなく、あえてラーメンをチョイス。もう、魚介の味が全身に染みわたって、たまらんわけです。
雄別・阿寒
釧路から北上して阿寒方面。東の根室方面へ行くか本当に迷った。厚岸でガチの牡蠣を食べたかったが、またの機会とする。
雄別炭鉱跡に来た。
浦幌の炭鉱とはまた違う空気感。このあたりはとにかく臭いが強烈で、クマの気配もより一層感じられたので、祈らせてもらったあとはすぐに車に戻った。
摩周湖のあたりまで来ると一気に華やかになって、観光地という感じがしてくる。
屈斜路湖のほとりにある「コタン温泉露天風呂」。ここは前々から楽しみにしていたところで、まさに大自然さながら、天然の露天風呂が楽しめるスポット。これほどの解放感ある露天風呂はないんじゃないだろうか。
で、期待を胸に膨らませて着いてみたら「本日点検のため入浴できません」…。うぅ…。
津別峠
険しく狭い峠道のてっぺんから眺める屈斜路湖は格別。
早朝には雲海も見れるとのことで、これはまた来たいところだ。
眺望が半端ない。
さっきまでクリアだった視界が一気に何も見えなくなった。このダイナミズム。
モアン山 (中標津町 養老牛)
養老牛という地名から、「牛」と描かれているシュールな山。笑ってしまった。
川湯温泉
屈斜路湖の近くにあるこじんまりとした温泉街。
強酸性のお湯で、個人的にものすごく好みだった。北海道の中ではマイベスト 3 に入る。ちなみに 1 位は北見留辺蘂の温根湯温泉 (異論は認める)。
網走・北見
網走・能取湖に群生するサンゴ草。真っ赤で美しい。ピークはもう少し先か。
わけあって女満別空港で一時内地へ戻る。
常紋トンネル工事殉難者追悼碑。
御託はいらない。これを読んで、手を合わせるのみ。
追悼碑の隣に小学校跡も建っていた。常紋トンネルと何かしら関係があるのだろうか? もっと周辺を歩いて歴史と理解を深めたいのだが、時間がなく、断念…
旭川
道北行きたかったんだけど、時間が (ry
でもめちゃくちゃ美味しいエゾ鹿を食べられて、大満足。これもまた記憶に強く残る、強烈な味だった。
神居古潭
どんどん奥に歩いて進めるようだったが、ふつーにクマ出没しているようなのでビビりな自分はそそくさと退散。
紅葉が今から楽しみだ。
札幌
いやーそして戻ってきてしまった。もっといろいろな場所を深く知りたかった。
でも帰りのフライト時間が近づいてきているので、札幌を楽しむ。
ナナカマド!
そしていつものこれ!
札幌駅周辺は絶賛開発中。
おわり
飛行機で千葉に帰った。
気付かれた方も多いだろうが、日高の旅といいつつ道央・日高・道東・道北とあっちこっちの旅になった。
いろいろ心残りはあったけれど、それは逆に移住へのモチベーションにもなり、3 か月後には移住を実施。改めて、よくやったと思う。
とりあえず、今夏はコタン露天風呂にリベンジしたいなぁ。