北海道に住みたいと言っているだけのブログ

マイナスをゼロに

GR005443.jpg

最近はインターネットでウェブブラウジングをすると、みんなギスギスしてるなぁと感じざるを得ないようなことがたくさん目に入ってくる。自分としてはちょっときつく、今はインターネット上でも引きこもりをするという時代なのかもしれないと勝手に感じている。つまり、ソーシャルの世界を一切見ないようにする。む、そうするとブログも…?

 

先日は大学時代の先輩の披露宴に行ってきた。いわゆる酒の入る会食というやつだ。過去一度延期になったという経緯があるのと、こんなご時世なのでむしろお店側がどこまで感染対策を工夫してくれるのかに強い興味があり、出席させていただいた (純粋に祝いたかったのは言うまでもない)。

行ってみた感想としては、悪い意味で割とリアルに絶句してしまったというのが正直な感想。まず前提として密。隣の人との距離は拳一個分、テーブルには仕切りなし、マスクやフェイスシールドの提供なし、会食中における感染防止を促すアナウンスなし、など盛りだくさんの内容。さすがにビュッフェではなかったのはよかったが、間違いなく同じテーブルの方々とは飛沫を交換した。自分たちの意思で「マスク食べ」を実践する以外には回避不可能だった。

個人的にはもう少しお店の気概を感じたかった。「万全の体制だからみんな安心して来てくれよ」という自信。あくまで自分の N=1 の例なのでほかのお店はしっかりしていると信じているが、今回の件にはちょっとがっかりしたのが正直なところだった。という、結局これもギスギスした話になってしまった。

YouTube Music が○○

いま世間を賑わせているように Google Play Music がサービス終了するということで、いよいよ自分も YouTube Music への乗り換えのときがやってきた。Google Play Music は無料で数万曲ものファイルをアップロードできて、ストリーミング再生できるというなんとも便利なサービスだったのだが、さすがに無料にしては太っ腹すぎたか、ということでサービス終了に対してはある程度納得している。

YouTube Music の魅力は Google Play Music へアップロードした曲をそのまま引き継ぐことができること。ただし未課金だとバックグラウンド再生ができずほぼ使い物にならないので、月額会員の利用が前提。しゃーないので奥様の分と合わせて \1500/月 のファミリープランを契約。

ひとまずこれで長年かけてアップロードしてきた曲たちを守ることができた。…のはよかったのだが、Google Play Music と比べて UI が非常に残念なことになっている。一番アレなのは曲やアーティスト、アルバムなどリストをスクロールすると頻繁に読み込みが発生すること。20~30 項目くらいごとに待ちが発生するので、例えばアーティスト一覧にして「ZAZEN BOYS」を開こうとした場合、一覧は A~Z でソートされているのでひたすら下へのスワイプかつローディングが大量に発生する。別途検索バーがあるので、ここからアクセスするのが一番よさそう。なお、ひらがな/カタカナ/漢字などアルファベット以外のアーティストであれば Z のさらに下となる。

一方、YouTube Music はそもそも Spotify のようなサブスクリプション型の楽曲ストリーミング配信サービスなので、アップロード曲の再生はメイン機能ではない。それゆえの不遇なのだと思う。ということで、期待していなかったサブスクのストリーミング再生に今更ながら衝撃を受けた。CD 購入/レンタル、および CD リッピングという行為なしで音楽が聴けるとは。レコメンデーション機能で似たような曲を永遠に垂れ流しできるのは仕事中など非常にありがたい。アルバム聴き終わって手動で探す手間が省けるし、よく言われるような「新たな出会い」もしばしばあって新鮮だ。そしてこの「所有しない音楽」こそが、元来自分が憂慮していた音楽の消費を助長してしまわないかという点につながるのだけど、そんなことはどうでもよくなってしまうくらいの利便性だ (ひどい)。

 

n 次元方程式

GR005394.jpg

 

そろそろ若手とはいえないくらいの社会人歴になってきたが、こと人間関係の構築能力については新社会人レベル、いや、新生児レベルのまま変わっていない。特に会社の人のような、他人以上友達未満、利害関係がなくはない、そういった関係性の人間に対するコミュニケーション。

社会人になりたての頃、得意な仕事と苦手な仕事がはっきり分かれていた。得意なのは一人でガンガン進められる仕事。一方苦手なのは他の人に依頼するような仕事。IT エンジニアにありがちな特性な気もするが。「MP 足りないから回復したらにしよう」なんて言い訳で後回しにするうちに、段取りが狂ってしまったこともある。こんな悩みも社会人なりたてこそだよなぁ、そのうち慣れるだろう、と思いながら、いよいよ全く慣れないまま今日になってしまったのはどうしたものか。

思えば小学生のころから自分は全く変わっちゃいなかった。小学 1 年生の春、昼休み。2 年 1 組の先生へ渡してほしいものがあるという担任からの「おつかい」を頼まれた。意を決して 2-1 の教室の前まで来たもののなんと言って渡せばよいのかがわからず、教室の前で納得がいくまで予行練習していたら昼休み終了のチャイムが鳴ってしまったことがある。それくらい人付き合いへの不安、相手に心が開けない、といったバグが未解決のまま残っている。

今の仕事でもこういった悩みは尽きない。最近中途でうちのチームに配属となった方がいて、自分が教育係として色々教えているのだけど、自分の言った冗談が予想外に相手を傷つけてしまっていないかとか、そういったコミュニケーション上の不安がつきまとって離れない。冗談言って失敗するってかなりやっちゃいけない部類に入る言動だと思う。本来必要のないアクションなわけだから。相手が同期とか上司であればまだよいのだが、後輩となるとなにか不快なことがあっても立場上言いづらいこともあると思うので、とても神経質になってしまう。なにはともあれ信頼関係を築くことが解決への第一歩だと思っている。外は寒くなり、心はセンチメンタルな今日この頃。