実家が新潟なのでお盆は毎年レンタカーを借りて帰省していた。今年は帰省前日に子どもが発熱して全ておじゃんになった。こういうときレンタカーだとどうしてもキャンセル料がかかってしまうので融通利きにくいな。とはいえ家でゆっくりするお盆も悪くなかった。
恐らく今年一番嬉しいであろう出来事が最近あった。抱っこせずに子どもが寝てくれたことである。といっても、これまでも抱っこナシで寝れていた。指しゃぶりを上手に使ってコロンと寝ていたものだった。しかし、今年の 6 月頃に手足口病にかかったとき、口内炎の影響からか指しゃぶりを一切しなくなってしまった。本来であれば指しゃぶりをすんなりと辞められたことに喜ぶべきところだが、同時に一人で眠ることもできなくなってしまった。
一時的なものだろうと高をくくっていたのだが、7 月に入っても眠くなると必ず抱っこをせがまれてしまう。(ちなみに抱っこしないと無理矢理よじ登ってきてかなり痛い。)
なにか一人で寝るキッカケがあれば良いのかなと思い、いろいろと試行錯誤したがうまくいかなかった。例えば、抱っこで眠りにつく前に下ろしてしまう、など。(これは逆効果にしかならなかった)
諦めかけていた 8 月、ダメ元でハナっから寝たふりをしてみた。驚いたのは、いつものように眠くて泣くかと思いきや一人で遊び始め、しまいにはコロンと寝てしまったことだった。しかも指しゃぶりなしで。
たまたまかと思って翌日もトライしてみたが、成功した。
抱っこに比べると眠りにつくまでにかなり時間がかかってしまうのだが、それでもラクなことには変わりはない。何より、夜中に目が覚めても一人で再入眠してくれるのが良い。これは逆に言うと、一人で寝られなかったときは夜中に何度も抱っこをする羽目になっていたということである。これには成長を感じざるを得なかった。(手足口病になる前もできてたけどな…)
そうこうしないうちに今度はイヤイヤ期が到来してはいるが、抱っこして寝かせていた頃と比べると雲泥の差で、今の方がマシ感がある。
日々体調はしんどいし子どもに振り回されているが、一方で育児を通じた今が人生のハイライトの一つなんだろうなという確信があるのも事実だ。人間は複雑なように見えて実に単純な生き物のように思う。結局、種の保存ありきなのか。小さな幸せを噛み締めて生きよう、というスピリチュアルなお婆さんのようなことをこのごろ感じている。こうして人生のコツを会得していってようやく心の余裕が生まれる頃には老衰しきっているのかもしれない。儚い。
今年は本当に暑い。
趣味の写真や思考整理のために週末は 20km ほど散歩しているのだが、今年は何度か熱中症になりかけた。水分取ってりゃ大丈夫だろうと思っていたが、全くもってダメだったし、また塩タブレットの有無でここまで違うのかと思い知らされた夏でもあった。
晴れている休日に子どもを外で遊ばせられないのもつらみがある。遊ぶ場所、連れていきたいところはたくさんあるのだが、いかんせん屋外ばかり。
ということであまり外では遊ばせてはいなかったのだが、それでも子の腕はこんがりと日焼けしたあとが残っているので太陽光線の熾烈さを感じる。屋外型の娯楽施設は経営的に大丈夫だろうか、という余計な心配をしてしまう程には暑い。
こうした暑さが毎年デフォルトでやってくるとなると恐れしかないし、未来の子どもたちに合わせる顔がない。
北海道が首都になる日もそう遠くないのではないか。実際、明治時代には旭川の上川を首都にしよう、という動きもあったようだ。その後上川は首都ではなく「離宮」扱いとなることが決まり、最終的にはおじゃんになったという逸話がある。
別の文献では、上川首都反対派が賄賂で政府を言いくるめて反故にしたという話もある。北海道が首都となったパラレルワールドを想う。え、冬がその分厳しいから現実的ではないって…? それを言うと神居古潭に沈められるぞ