池と沼は同じだった

いつか札幌に移住したい26歳です。

カメラと技術と時々音楽

「引きこもらない」から気付く自分の内なる考え

ここ最近読んだ中で最も衝撃的だったのがこの本。

ひきこもらない (幻冬舎単行本)

ひきこもらない (幻冬舎単行本)

 

京大元ニートの作者: pha さんについては昔からブログを読ませてもらっていて、読むたびに強く共感することが多かったので、今回書籍を買うに至った。

内容は氏の生活に関するエッセイなんだけど、これがまた素晴らしかった。例えば冒頭の時点でつかみは完璧。

一人で外をふらふら散歩しながらぼんやりしているときが自分の中で一番楽しい時間だ。でもそんな散歩の途中に知り合いを見かけると反射的に隠れてしまう。前もって会話エネルギーを用意していないときに他人と会話すると特に消耗が激しいからだ。

p.22 チェーン店以外に行くのが怖い

散歩の楽しいところは何といってもぼんやり考え事ができるところ。「考え事」というのは散歩中視界に入ったものに対することだったり、頭のなかでまだ固まりきっていない思考を明確化させることだったりする。

なので、散歩中は自分が持つエネルギーの大半を思考に費やして、残った全てを歩行に配分している。そんな中で、知り合いに会ったときにはエネルギー配分を急激に変更させる必要がある。自分もそうだけど会話ベタな人にとっては特にこのモードチェンジが大規模になる。

ゆえに「消耗が激しい」というのは言い得て妙で、大いに納得。

 

物理的に遠くに離れれば離れるほど、普段自分が属している世界を客観視しやすくなるのだ

p.66 行くあてはないけど家にはいたくない

これも秀逸。

突発的に意味もなく遠くに出かけたくなることがあるんだけど、その理由が自分でもわからなかった。でも実のところは「自分が属している世界を客観視」したがっていたのだなと。言い換えると、「自分が属している世界」を主観的にみたくない気持ちがあった。

当たり前だと思っていたことが実は当たり前じゃなかったり、悪いと思い込んでいたことが実は全然悪くなかったりする世の中なので、「自分が属している世界」のみに没入するのは危険だと考えている。

だから、出かける先は正直観光地じゃなくてもどこでもいい。遠くへ出かけて偏った考えにメスを入れられれば、旅行としては大成功となる。(もちろん観光地を巡って感動できるに越したことはないのだけど)

 

特に用もなく今まで降りたことがない駅で降りてみるのも好きだ。駅前の様子を観察して、「この県庁所在地はこれくらい発展しているのか、大きな本屋とかデパートとか一通りあるし住んでも不自由しなさそうだな」とか、「この駅は複数の路線の乗換駅なのに駅前に喫茶店の一つもないのか、次の電車まで1時間半もあるのに厳しい……」とかそういうことを考えるのが楽しい。いろんな街を見てその街でたくさんの人がさまざまな生活をしているんだなというのを想像するのが好きなのだと思う。

p.120 一人で意味もなくビジネスホテルに泊まるのが好きだ

これもすげーわかる。駅の数だけストーリーがあって、それを妄想するのが至福。寂れている駅前だってよくよくみると駅を利用する人達の営みが垣間見れる。

これは自分が子供の頃から感じていたことなんだけど、自分以外の家族の生活に興味があった。親の車に乗って窓を眺めていると無数の家々の前を通り過ぎるわけだけど、それぞれの家庭について「幸せにやってるのかなぁ」とか「休日はどうやって過ごしてるんだろう」といった、どうでもいい好奇心が湧いていた覚えがある。

考えてみるとすごい。日本中に何千何万とある街で、自分の知らない街で、人が生活をしているという事実。さらにスケールを広げると、世界には何十億という数の人がいて、その一人ひとりに人生があって、日々を全うしている。なんてことだ、自分の頭の中は自分の人生のことで常に破裂しそうだけど、これが何十億人分もこの世にあるのかと思うと、地球上にはとてつもないエネルギーが存在しているんだなと驚く。

 

なんかこう、中学生とか高校生のときに出会いたかった本。当時は何かと視野が狭くて、突きつけられる「こうあるべき」に沿えず色々と自暴自棄になっていたけど、本当はそれだけが正解じゃないよと伝えたい。

最後らへんの項:「京都には世界のすべてがあった」にはヘミングウェイの「移動祝祭日」における有名なフレーズが紹介されてあった。これにも自分は大いに感動してしまった。この人 (=作者) はなんて鋭いところを突いてくるんだろう。もう驚くほかなかった。

これまでクラシックな文学作品はほとんど読んでこなかったので、これを機に手にとってみようかなと思う。手始めに「移動祝祭日」なら間違いなくハマるだろう。