池と沼は同じだった

いつか札幌に移住したい26歳です。

カメラと技術と時々音楽

田舎本

引き続き移住情報を漁る。 

田舎暮らしに殺されない法 (朝日文庫)

田舎暮らしに殺されない法 (朝日文庫)

 

小説家である作者が、定年後の田舎移住に対し警鐘を鳴らす本。この時点で「あっ自分向けじゃないな」と気づいたけど、内容があまりに面白かったので買ってしまった。

田舎への移住というと「豊かな自然」とか「温かい人間関係」といった良いイメージを持ちがちだけど、そんなこと考えないでもっと現実を見たほうがいいよ、というメッセージが主旨。

例えばこんな調子で延々と移住を止めるように忠告される。

余談になりますが、団塊の世代と呼ばれているあなた方は、いわば幻想の世代でもあるのです。現実のなかの現実とも言える戦争が終わったところからこの世に生を受け、戦勝国家から押し付けられた自由と民主と平和という理念のかたまりである政治形態を鵜呑みにし、あたかもこれからの人間たちが正義と共に生きてゆかれるかもごとき錯覚にとらわれ、国家悪は必ずや滅びるものと信じ切って機動隊に石を投げつけ、大学構内を占拠し、所詮は机上の空論でしかない、子供じみた発送による革命ごっこを実践すればたちまち万人が平等の立場に立てる国家の誕生となるのではないかという熱に浮かされ、ひとたびはしかにも似たその熱病が去ると、たちまち豹変し、学歴社会に調子を合わせるだけで世渡りができるものと誤解してしまい、急速な右肩上がりの経済の恩恵に進んで浴し、上辺だけの物質的な豊かさを堪能しているうちに本物の現実からどんどん引き離されてゆき、広告やマスメディアや映画や小説が現実の主導権を握っているところのイメージのためのイメージという害毒に侵されつづけ、そのことに酔い痴れ、いくら年齢を重ねても本当の自分や現実の正体を把握できないまま、それとは気がつかないあいだに、足場のない分だけ美しくて浸りやすいイメージのあれこれをおのれの価値観の基盤とし、発送と行動のすべてを実体のかけらもないその尺度に委ね、社会と、職場と、誰もが毎日呑めるようになった酒と、本当に強くなったのではなく、強く見せかける芝居が上手になっただけの、実際にはとても弱い女性とに寄り掛かり、現実が現実であることを把握する機会を自ら放棄し、逃げ癖がつき、逃げ口上ばかりが巧くなり、それこそが粋な生き方なのだ、より人間的な人生なのだという卑劣で憐れな答えに本気でしがみつき、浮薄で、不気味で、どこまでも自分本意なイメージ人間と化したところで、職場というあなた方にとっては絶対的であった後ろ盾を奪われ、今度は自己の生存能力をとことん試される過酷な余生へと投げ出されてしまったのです。

p.98 - 100『田舎は「犯罪」の巣窟である』

ドM歓喜綾小路きみまろもびっくりだ。

しかしさっすが小説家、語彙が出てくる出てくる。ここまでくるともはや芸術の域に達してくる。

とはいえ侮れないのは、ずっと煽り続けたくせに最後の最後で持ち上げてくるところ。

あなたは確かに絵に描いたような強者ではないかもしれません。でも、あなたが思い込んでいるほどの弱者でもないはずです。

p. 202 - 203『あなたを本当に救えるのは、あなた自身である』

ツンデレですか。

本物の光は漆黒の闇のなかでしか輝きません。

本物の感動は現実のおぞましさのなかでしか出会えません。

p.205『あなたを本当に救えるのは、あなた自身である』

名言。結局こんなこと言われたら田舎住みたくなるやん。

この名言にもあるように、作者が伝えたいことの一つが「良いことと悪いことは表裏一体」であると思う。例えば、冒頭で述べた「豊かな自然」というポジティブな言葉の裏には「厳しい災害や気候」というネガティブな事実がついてくる。でも、定年で移住する人は皆田舎暮らしの良い面ばかりを見がちで、決して現実を見ようとしない。結果として、せっかくの老後を台無しにしてしまうという。

これは何も田舎暮らしに限った話ではなく、何事においても、容易く手に入る充実よりも苦労した先にある感動のほうが精神的なエントロピーは大きいのだなあ。